2024年9月11日水曜日、豊見城市高安地域において「龕(ガン)ゴウ祭」が行われました。
12年1度、辰年の旧暦8月9日に開催され、無病息災や豊年を祈願する祭祀です。
以下、パンプレットより由来を引用します。
龕ゴウ祭の由来
高安では、いつごろから「龕」が使われるようになったかについては、記録がないのではっきりした事はわかりません。
昔からの言い伝えによると、約250年~300年前からだと言われております。「ガンとジーシ」というむかし話(別掲)に出てくる字豊見城の沢岻から譲り受けたものという説もあります。沢岻の二男が唐旅に行ったが帰らず、同行したテーラシカマグチという人が中国から持ち帰り沢岻の納屋に置いた。ガンとシーシの新(温)が欲しくケンカするので、ガンを高安ちかくに捨てた、と字豊見城では語り継れております。
ところで、高安のガンゴウウグァンの日には、昔から沢紙の先祖にウダァンをする習わしになっていることからみて、字豊見城の沢岻家とガンに何らかの因縁があることがうかがえます。
高安では、豊見城からきたそのガンを西外間の屋敷裏に安置所を作り保管したようであるが、後に現在地に保管所(ガン屋)を建てた。ガンゴウの時は、向い側にある外間家門中の経所の敷地内にあるガンゴウナー(庭)で棒や空手、舞踊の奉納行事をしたとこのとです。
このガンがない時代は、死者を野辺おくりする場合は、俗に「オーダーニー」と言われるように二人でモッコに担いだのだ、といわれます。
ガンは、丈夫なイヌマキ(チャーギ)の木で造られ、全体に朱漆を塗り、前後に合掌する僧侶、左右に運の花を描き、屋根のガランは金箱塗り、屋根の軒には鳥の彫り物を配した豪華なおみこし(興)です。
オーダーニーにされてあの世に旅立つのに比べ、ガンでの旅立ちは極楽浄土へ行けることがかなえられる。ありがたい乗り物であったかも知れません。
一方では、ガンは死者を浄土へ送る乗り物であるため、霊の宿る「赤馬」として生き物とみなされ、忌み、きらい、恐れられてきました。カンゴウ行事の本旨は、このガンの年期(忌)祭を行い霊を鎮めることにあったようです。12年、25年、33年の年忌(期)に、ガンの修理を兼ねて、盛大な祭を行ってきました。
この祭りは、旧暦8月9日の柴差しに当り各家庭でも悪霊払いをする日です。ガンの霊を鎮め、村内の悪霊を追い払うため、男たちは勇壮な棒術や空手で気勢をあげ、女たちはにぎやかに踊る習慣になっています。
ガンをガン屋に納めるための道ズネー(行列)では、村の長寿の方たちを先頭にし、字内の辻々でガンやヤリ、ナギナタの旗さし物を高くかかげ、気勢を上げます。
これは、高安はガンの霊に負けないことを示すため、長寿者を先頭にしているといいます。
また、ガンを鎖めるため、ガン屋の北側の小高い岩の上に獅子を据えて、ガンをにらませています。
ガンゴウ行事は、ガンの霊を鎖め、慰めることですが、同時に村内の無病息災を祈願する豊年祈願祭ともなっております。字民はこの伝統の行事を受けぎ、次の世代へ引き継ぐことに大きな責任と誇りを感じております。
ところで、昔からのガンは去った大戦で破壊されたので、昭和27年に再建されましたが火葬に付されるようになってからは、使われなくなり昭和43年に使われたのを最後に今日では文化財となった観があります。引用:龕ゴウ祭配布のパンプレットより
昔話ー「龕(ガン)」と「獅子(シーシ)」のけんか
昔、字平良のテーラシカマグチという人と豊見城沢岻の次男の二人が、唐旅に出かけました。その後、何年かたって、テーラシカマグチは、無事帰ってきましたが、豊見城沢岻の次男は、ついに帰ってきませんでした。
テーラシカマグチは、唐旅のみやげとしてガンを持ち帰り、沢岻の家にあげました。
沢岻の家では、めずらしい唐のみやげを、屋敷裏にある大きな蔵に、大切に納めました。この蔵には、以前からシーシが置いてあり、同じ建物に、ガンと向かい合わせて置くことになりました。
ところが、夜な夜な、ガンとシーシが、けんかをするようになったので、シーシは、はるばる唐からやってきたガンを、一目見た時から、どうも気に入りません。魔に敏感なシーシは、ガンが、葬式に役立つものであることを、悟りました。災いをもたらす魔が、徘徊してこないようにと見はっているシーシは、「ガンよ、お前は、人が死んだ時だけに喜んで働く実に不吉な奴だ。」と、どなりつけました。
一方のガンは、「シーシよ、お前こそ、祭りや遊びの時だけにしか役に立たないだめな奴だ。そのくせ、守り神みたいな顔をして、いばりちらかしている。」とどなり返しました。
シーシは、四角い歯をガタガタ鳴らし、たて髪を逆立て、ガンをにらみつけました。ガンも負けずに、赤い顔を火のように真っ赤にし、大きな音をバタンバタンと立て、やり返しました。
蔵の中で、「ガタガタ」、「バタバタ」とやり合う大きな音は、沢岻の屋敷内に、うるさく聞こえました。
こうしたけんかが、夜な夜な続いたので沢岻の人は、シーシを、村はずれへ移すことにしました。しかし、それでも夜になると、引き離されたガンとシーシは、ますます大きな声をはりあげて、ののしり合うのでした。そのけんかは、村中にひびきわたる大げんかでありました。それが、毎晩続くので夜もねむれずたまりません。
ガンと、シーシのけんかに、こまりはてた村中の人々は、ガンを、高安の近くの三角地(コーシテジー)に、捨てることにしました。
一方のシーシを、我那覇部落にあげることにしました。それから後は、けんかもなくなり、元の静かな村になりました。引用:豊見城民話の会誌より
写真集
▲12年ぶりに外に運び出された龕とお供物
▲鶏、チラガー、のまんじゅう、米などがお供えられている
▲合掌する僧侶と蓮の花が描かれてる
▲仏教チック
▲公民会前広場で旗頭
▲大勢で棒を打ち付ける風変わりな旗頭
▲集落内へ進み、部落の元家(ムートゥヤー)2軒の神屋(カミヤー)へ
元家の神屋にて拝
▲元家の中庭において舞踊奉納
▲棒術奉納
▲16時に龕を安置する龕屋へ向けて道ズネー
▲大勢が見守る
▲龕屋前に到着
▲解体しコンパクトにする
▲12年後にしか外に出ないので炭材も一緒に
▲コンパクトになった龕を納めた
▲拝み
▲扉が閉ざされた
次の龕ゴウ祭は2036年に開催されます。
記事中の情報
豊見城市役所「龕屋と龕ゴウ祭」→こちら
キーワード:ガンゴウ祭
住所:〒901-0242 沖縄県豊見城市高安
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