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清明祭(シーミー)-2019年

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清明とは?

今年も清明祭(シーミー)の季節です。
沖縄本島中南部の霊園や墓地周辺では大混雑してることでしょう。

さて、清明祭とはどういう行事なのか?沖縄大百科事典を引いてみましょう。

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清明祭/御清明(せいめいさい シーミー、ウシーミー)
旧暦3月の清明の節に行う祖先供養の行事。「球陽」尚穆王17年(1768)の項に「2月12日、始メテ毎年清明ノ節、上、玉陵ニ謁シテ奉祭スルコトヲ定ム」(原漢文)とある。この年以降、年中行事の一つとして行われるようになったと考えられる。首里士族を中心に普及、次第に地方農村へも伝播していったが、士族層だけにとどまっている地域も見られた。一般的に沖縄本島北部や宮古・八重山ではごく一部に行われているだけで、しかも簡略化され、逆に正月一六日祭の方が盛大である。
清明祭は神御清明(カミウシーミー)と清明祭に区別される。神御清明は清明の入り日に行わうことが多いが、近ごろは入り日に近い休日に行う傾向にある。行事は門中やハラ※1の構成員が費用を出しあって宗家(ムートゥヤー)で料理をつくり、その門中やハラの女性神役、及び各家代表の男たちが集まって血縁集団と繋がりの深いサチヌユー※2の墓、ナカヌユー※3の墓、按司墓、ノロ墓、嶽(タキ)、イマメー※4の墓を含めて巡礼した。また、神御清明は祖先祭祀とはいえ、時期的には好日の続く頃とあって行楽的要素も濃く、その点、中国の清明祭の面影を強くとどめている。清明祭で門中やハラのメンバーが墓前もしくは景色のいい山野、あるいは宗家で行う直会は、門中やハラの親睦を深めるだけではなく、門中やハラに関わる口承の歴史を伝授していくのに大きな役目を果たしてきた。通常でいう清明祭は主としてトーシー※5墓を対象に行う墓前祭で、門中やハラによって酒、重箱料理を供え、ウチカビを焼くなど神御清明と同じである。神御清明のあとの清明の節中に行い、村で日を決め一斉に行うことが多い。墓参はなく、仏前だけの清明祭をする村もある。

※1「ハラ」・・・沖縄本島地域では同一先祖から出た男系血縁集団を指す用語。門中と同義。門中の下位集団や分枝を指す場合もある。腹・側の字を充てる場合もある。
※2「サチヌユー」・・・過去から現在に至る時間の流れを「先・中・今」の三つに相対的に区分し、祖先に実績に当て嵌める観念が民間に広く行われている。一番初めの時代。先(サチ)。門中の本家などでは始祖の時代を指す。
※3「ナカヌユー」・・・過去から現在に至る時間の流れを「先・中・今」の三つに相対的に区分し、真ん中の時代。中(ナカ)。門中の本家などでは始祖以外の最終年忌を過ぎた祖先たちを指す。
※4「イマメー」・・・今前・現代の意味。
※5「トーシー」・・・沖縄本島南部一帯では、現在使用中の墓をトーシーと称し、遠い祖先を祀ってあるアジシーを区別している。

引用:沖縄大百科事典より

県外の人には意味不明な文章でしょうね(笑)
沖縄県民でも、若い世代ならハイコンテクストな内容なんじゃない?
おじぃおばぁ世代なら神御清明や直会、拝み、巡礼の手順や重要性を知ってるとは思うけど、20代前半の僕にとってはイマイチよくわからない。

僕たちの門中では神御清明や宗家での直会、巡礼などは無く、各家々で墓参し酒や重箱、オードブルをお供えします。
我が家では2019年4月28日に清明祭を行いました。門中墓は南城市佐敷にあります。

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写真集

↑祖母筆頭に拝む

↑その後、男子年長順に拝む

↑戦前まで使用していた門中墓。
戦時中、曾祖母はこの墓の中に隠れたらしい。

各墓に拝みをして、お供えしたオードブルやお餅を墓前で食べます。
上記の事典の引用文にあるように、行楽的要素が強い行事です。

記事中の情報

Wikipedia「清明」→こちら
2018/04/21更新:清明祭と富盛石彫大獅子
僕のおすすめ!「沖縄大百科事典」→Amazonへ

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この記事を書いた人
まぁびぃ

ハンドルネーム:まぁびぃ。
1995年1月30日、沖縄県那覇市出身。
2007年から2017年までは、Amebaでブログ運営をしていました。
現在は、WordPressで運営しています。
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