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箕隅宮(ミーヌシン)参拝-陸上自衛隊那覇駐屯地

那覇市小禄の西北岸地域にかつてあった鏡水村(カガンジ)は、鏡水大根(カガンジデークニ)の生産地として名を馳せていました。
しかし、1933年に小禄海軍飛行場として、戦後には米軍基地として、土地は接収されてしまい、鏡水の住民は移住を余儀なくされます。同時に大根の生産も廃れていきました。
本土復帰後には、陸上自衛隊が駐屯し、那覇空港などの再開発で鏡水は大きく変わってしまいました。

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鏡水の歴史

沖縄県立図書館に所蔵されている『字鏡水創立百周年記念』(鏡水創立百周年記念事業記念誌発行部著)に、鏡水の歴史が記載されていたので紹介します。

●鏡水の起源と成り立ちについて
西原間切安室村の住人、大屋と称する人は大嶺村長山原に移住し、半農半漁の生活をしていましたが、同郷の知人で平良・新垣一族を誘い鏡水原に居住したことが字鏡水の起源と言われています。
明治36年10月20日の県令三六号による整理統合で、儀間村安次嶺村の鏡水原屋取(ヤードゥイ)が独立して「鏡水村」が誕生しました。
『南島風土記』東恩納寛惇著)にも「小禄村の西北岸、先崎原付近の小字、もとの小禄間切安次嶺村内の小字であったが、明治36年土地整理の結果、安次嶺の内、鏡水原・伊保原・前原・儀間村の内、蚊坂・名座原・下田原・箕隅原・土砂場原・増過原・崎原を割いて新たに鏡水村を置き、明治41年町村制施行の結果、小禄字鏡水と称せらる」と記されています。

●鏡水大根について
海岸沿いの地域であるため、岩場や砂地が多く農作物には不向きな土壌でしたが、水肥(ミジグェー)と呼ばれる動物や人間の排泄物、ゴミなどを用いた肥料で15年以上も土壌改良を行いました。
そして、生産された鏡水大根は全県に知れ渡る農作物となり、大正10年、皇太子(後の昭和天皇)が来沖した際は献上品にもなりました。
昭和6年に飛行場建設のため、数万坪の大根畑が接収され、生産量は徐々に減少。
鏡水の住民は大根の輸送に使っていた馬車で、那覇港に陸揚げされる建築資材の運搬業へジョブチェンジします。これが小禄地域で運輸・建築業が盛んになるきっかけとなりました。

引用:字鏡水創立百周年記念

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箕隅宮

那覇うみそらトンネル空港側入口付近、陸上自衛隊那覇駐屯地内には「箕隅宮(ミーヌシン)」と呼ばれる拝殿があります。
1546年、麻氏五世 儀間親雲上真命(儀間真常の父)によって建立され、生観音を本尊としております。
薩摩侵攻後、かの船頭達の寄進によって拝殿が創建されたと伝わっており、航海安全、海外移住者の無事、子孫繁栄や五穀豊穣を祈願する拝所として古来より多くの人々の尊崇を集めてきました。
昭和9年、字鏡水によって拝殿は再建されましたが、沖縄戦や風化などで損傷が激しくなってきたので、平成5年に現在の拝殿に改修されました。

↑拝殿

↑拝殿の内部

↑観音さま

カガンジデークニの碑

拝殿の左隣には「カガンジデークニ碑」があります。

●カガンジデークニ碑文の内容

那覇市字鏡水は、永年にわたる旧安次嶺村及び儀間村のヤードゥイ(屋取り)から、1903年(明治36年)10月21日付を以って旧小禄間切鏡水村として誕生し、今年100周年を迎えました。
鏡水の地は、元来海岸沿いに所在しているために、岩場や砂地の割合いが多く農業に適さない土地柄でした。しかし乍ら、鏡水の先人たちは「農業第一」を心に刻み、昼夜たがわず家族総出で血のにじむ農作業に精根を込めて働きました。そして、鏡水の砂地は、堆肥や水肥を大量に長期間根気強く施すことによって豊かな土壌へ変わりました。
カガンジデークニ(鏡水大根)は、このように手間暇かけた入念な砂質土づくりが功を奏し、成果となって現れた農作物です。このカガンジデークニは、旧正月の頃が最も美味で県下最大の消費地、那覇の市場で一躍有名になり、昭和天皇が皇太子の時来沖された折には献上品になりました。
字鏡水創立100周年を迎えるにあたり、先人たちのご労苦を偲ぶとともに、この偉業を永く子々孫々に伝えかつ継承してくれることを念じて、ここに「カガンジデークニの碑」を建立する。

2003年10月吉日

海軍砲台跡

箕隅宮の後方には通称「らくだ山」と呼ばれる森が広がっています。
カガンジデークニの碑の後方の森の中には、鏡水海軍砲台跡が残っています。

マーク井・イリイ井

拝殿の右側後方には、マーク井(マークカー)・イリイ井(イリイウカー)も存在します。
「昔、ミーヌ神前海岸近くにあったクフ井 マーク井」
「昔、ミーヌ神の山の後にあったクフ井 イリイ井」
「米軍の工事で損壊のためこの場所に建立」
と碑には記されていました。
小禄地域の御嶽や井泉は土地接収や再開発などにより、移設や破壊がよく見受けられます。

参拝方法等

●参拝受付
陸上自衛隊那覇駐駐屯地のゲートで参拝したい旨を伝え、受付をします。その際、身分証明証の提示を求められます。
車でも参拝は可、ちなみに僕は徒歩で行きました。

●ミーヌシン参拝者への協力願い
陸上自衛隊第一混成団との協定書遵守のために、ミーヌシンへ参拝する皆様は次の事項を守ってくださるようお願いします。
一、指定された経路を通行して下さい。
一、線香、ウチ紙、白紙、お供え物は必ず持ち帰って下さい。
一、火の使用は禁止します。
一、盛塩はしないで下さい。
一、樹木を大切にし、境内の美化へご協力下さい。
ミーヌシン管理責任者・鏡水郷友会・鏡水自治会より

記事中の情報

当記事は、『字鏡水創立百周年記念』(鏡水創立百周年記念事業記念誌発行部著)より多数引用しております。
陸上自衛隊第15旅団→こちら

住所:沖縄県那覇市鏡水679

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この記事を書いた人
まぁびぃ

ハンドルネーム:まぁびぃ。
1995年1月30日、沖縄県那覇市出身。
2007年から2017年までは、Amebaでブログ運営をしていました。
現在は、WordPressで運営しています。
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