ちょうど1年前の2020年10月5日、新型コロナウイルスに感染しました。
詳しい感染経路は伏せますが、2020年9月25日に保菌者A氏との接触がありました。
時系列
9月25日(金) | 保菌者A氏との接触。 |
9月30日(水) | 保菌者A氏からの連絡で濃厚接触者であることが判明。 24時間対応の県コールセンターへ連絡。 |
10月1日(木) | 午前9時の体温3.63度。味覚、嗅覚は正常。 午後に保健所から電話があり、行政検査を受けることが決定。 午後18時の体温は38.1度に急上昇。 |
10月2日(金) | 午後14時の体温は37.7度。 午後15時30分、保健所が手配してくれた病院でPCR検査を受ける。院内へは立入禁止で、歩道にて検査を受ける。 |
10月3日(土) | 午前10時の体温は36.7度まで下がる。 |
10月4日(日) | 味覚、嗅覚が徐々に感じられなくなる。 |
10月5日(月) | PCR検査の結果、陽性と判明。 その日のうちに療養施設(旭橋の東横イン)へ。 味覚、嗅覚は一切感じなくなる。 |
10月11日(日) | 嗅覚が少しだけ回復する。 |
10月14日(水) | 療養施設から出る。 |
10月末〜 | 味覚の完全回復までは数週間要した。「甘さ」が特に戻るのが遅かった。 |
上記の表が主な時系列です。
僕の場合、10月1日〜2日に発熱があったのみで、それ以降は平熱でした。
嗅覚は1週間ほどの回復しましたが、味覚の完治までは約1ヶ月かかりました。
写真で振り返る
2020年10月2日午後15時30分に受けたPCR検査は、試験管のようなものに大量に唾を吐く仕様の検査でした。
療養施設となっている旭橋の東横インは快適でした。
部屋から一歩も出ちゃダメということではなく、フロア内の廊下は自由に出歩いてOKでした。
一度、鍵を持たずに部屋を出て、閉め出されたことがあったんですが、その時はフロア中央にある電話から事務局に連絡しスペアキーを持ってきてもらいました。
職員は防護服で完全防備。スペアキーを机に置き、僕とは一定の距離を保ちながら鍵の受け渡しが行われました。この体験はあまり気持ちのいいものではありませんでした。
療養施設での良い思い出は、鳥玉泉崎店の弁当の割り箸入れに書かれていた励ましのメッセージ。
毎日、手書きのメッセージは感動しました。
COCOAの活用
陽性が判明した日、那覇市保健所や沖縄県の2つの部署から立て続けに電話がありました。
しかし「COCOA(接触確認アプリ)をインストールしているか?」とは一切聞かれませんでした。結局は一度もCOCOAについては触れられず療養施設から退去しました。
それから数日後の2020年10月中旬、沖縄県は独自の接触確認サービス「RICCA」をリリース。
すでにあるCOCOAを全く活用できてないのに、RICCAをリリースする無能ぶりには開いた口が塞がりませんでした。
COCOAは、AppleとGoogleがBLEを用い接触を判定する暴露通知APIを使ったアプリ。各国の保健当局のみにAPIを提供する決まりなので、日本では厚労省がCOCOAを作ったわけです。
一方のRICCAはLINEを使ったサービスで、RICCAに賛同する施設やイベント会場に掲示されているQRコードをスキャンしないといけません。使い勝手が悪い。
まぁ結局は、COCOAは不具合を数ヶ月も放置され、RICCAのQRコードは全然見かけない。呆れた状況なんですがね。。。
終わりに
僕が感染した2020年10月5日は1日の新規陽性者数が10〜20人の頃。
第2波のピークは超えていたものの新規陽性者数は(当時にしては)高止まりしていた時期でした。すんなり療養施設に入居できたのは何よりもの救い。
また、僕は母屋とは別棟の離れに部屋があるので、家庭内感染は一切ありませんでした。
コロナ感染から今日でちょうど1年。僕は2度のワクチン接種を終えました。
緊急事態宣言も解除され、全国的に新規陽性者数は減り続けていますが、マスクの着用や手洗いうがいなどの感染対策には万全を。
コメント