↑2018年7月撮影
昨年、識名坂では改良工事が行われました。
その際、真珠道の遺構が出土し、当ブログでは2つの記事を更新しました。
まだ読んでいない方はぜひ。
前回の記事から8ヶ月以上も経過しているので、簡単に真珠道と識名坂について紹介します。
第二尚氏三代国王尚真が約10kmに及ぶ官道「真珠道」を整備しました。
沖縄戦で大半は破壊され、現在は首里金城町石畳道以外では真珠道を感じることはできません。
首里金城町から識名・繁多川に通ずる「識名坂」は、シキナヒラの遺念火という怪談の舞台にもなった坂で、かつては真珠道の一部でもありました。
2018年の改良工事中に、石畳の遺構が出土しました。
現在
改良工事はすでに終了しており、キレイに生まれ変わりました。
昨年の報道によると、出土した真珠道の遺構は撤去される予定だと報じられていました。
しかし、あくまでも僕の予想ですが、坂の上部の一角に移設され保存されていると思われます。
歩道の脇に石畳を思わせるスペースが約10mほど作られていました。
調べても移設や保存に関しての情報が出てこなかったのですが、多分そうだと思われます。もし知っている方がいればコメント下さい。
移設してこのスペースを作ったのなら、グッジョブだと思います!
追記(2019-07-27)
繁多川自治会が看板を設置していました。
僕の予想通り、出土した遺構は、坂の上部に移設され保存されていました。素晴らしい。
以下、看板より引用します。
「真珠道」の石畳
この歩道に埋め込まれている130個余の琉球石灰岩は2018(平成30)年4月中旬 那覇市の道路改良工事中に見つかった約500年前の「真珠道」の石畳の石です。「真珠道」は尚真王(しょうしんおう)代の1522年に完成した、首里城の石門(いしじょう)から真玉橋を経て那覇港南岸に至る約9キロメートルの軍用道路でした。
沖縄戦では艦砲射撃の標的になり、1965(昭和40)年頃からは舗装コンクリートの下で自動車の重みに耐え、今やっと日の目を見た琉球王朝時代の歴史的遺物です。繁多川の文化財「真珠道」の石畳を思いを込めて踏みしめてみませんか。2019(令和元)年7月吉日
繁多川自治会
また、那覇市は2019年6月24日付で「令和元年度 松城中学校東側線道路整備事業に伴う埋蔵文化財発掘調査(資料整理及び報告書作成)業務委託に係る制限付一般競争入札」を公示し、落札されております。
織名坂中腹(松城中東側)でも、埋蔵文化財の発掘調査が行われる予定で、新たな真珠道の遺構が出土する可能性があります。
今後、要チェックですね。
記事中の情報
沖縄タイムス:「真珠道」の一部発見 那覇市・識名坂
2018/04/26更新:識名坂で真珠道の一部発見
2018/07/22更新:識名坂で真珠道の一部発見-その2
2018/09/08更新:守礼門付近で真珠道の一部発掘
2018/10/27更新:守礼門付近でも真珠道の一部発掘-その2
コメント
すばらしいブログ記事、読ませていただきました。金城町の石畳のその先が気になっていたので、とても参考になりました。ありがとうございます。
130個余の琉球石灰岩が保存されたのも知れて嬉しいです。今度見に行きたいと思います。
コメントありがとうございます。
ぜひご覧になってください。