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旧久茂地小学校跡地発掘調査現場説明会

予備知識

2014年4月1日、久茂地小学校は前島小学校と統廃合され、101年の歴史に幕を閉じました。
統廃合後は旧前島小学校敷地に「那覇小学校」が開校し、旧久茂地小学校跡地には新那覇市民会館が誕生予定です。
旧久茂地小跡地には、琉球王府時代の「久茂地村」「那覇の大阿母屋敷」や、戦前の「久茂地尋常小学校」があったことから発掘調査が行われています。
この度一般公開され、現場説明会が行われました。

久茂地村:琉球王府時代(1677年)美栄橋から泉崎橋にかけての久茂地川を挟んだ地域に村立されていた(もとは普門寺村)。このころ人口が増加した旧那覇(久米村・東村・西村・泉崎村)の移住先として整備された。これまでのこの一帯は、低地が広がる湿地帯だったようで、その北側の前島・泊・兼久には、戦前まで塩田が営まれていた。

那覇の大阿母:「久茂地村」の一角に那覇の大阿母の屋敷跡は所在していた。大阿母は琉球王府時代(嘉靖年間:1522~1566年)、銭氏与那城親雲上直方の真牛金が貞女であったことから、当時の国王にとりあげられ、この地域の祭祀を司る神職に任命された。その屋敷は215坪。唐船出航の際は、泉崎の大阿母、楚辺の大阿母と一緒に、三重グスクにて安全祈願の儀を執り行い、「浜の大阿母」とも称された。

久茂地尋常小学校:1911年に建設。1944年の10・10空襲で消失。戦後に「久茂地小学校」として再開。那覇市歴史博物館写真資料「久茂地尋常小学校」

写真説明

上記載画像の①周辺から説明を受けました。
このあたりからは、礎石や排水溝が出土しています。

↑写真中央奥の土盛りから淡黄色のアパート周辺に、那覇の大阿母の屋敷があったと思われます。


↑L字に曲がった排水溝。排水溝右側に尋常小学校建物があったと思われます。

 

続いては、上記載画像の②周辺の説明を受けました。
ここが尋常小学校の玄関、正門となります。

↑尋常小学校の正門(校門)があった場所。現在の一銀通りとは正反対の向きになっています。

↑校舎玄関です(写真奥が一銀通り)。戦争で赤茶けた焦土面なども確認できます。

 

続いては、上記載画像の③周辺の説明を受けました。
ここが一番綺麗に残っているそうです。礎石群や排水溝が確認できます。

↑礎石は約90cm間隔に配置されているそうです。

↑排水溝もきれいに残っています。

 

続いては、上記載画像の④周辺の説明を受けました。
大型石組暗渠が出土しています。

首里龍潭池周辺で見つかった排水溝に似た石組暗渠ですが、こちらの方が底石が雑らしい。水捌けの関係でわざと雑にした可能性も。
もしかすると琉球王府時代に作られた可能性も捨てきれないそうです。

 

出土資料

↑琉球王府時代のものと思われるもの。

↑尋常小学校時代のものと思われるもの。

天保通寶が那覇から出土したのは今回で2~3例目。
天保通寶が沖縄で使われていたかは不明。記念硬貨的に持たれてた?

↑尋常小学校時代の硯、鉛筆の芯、ボタンなども出土。

↑尋常小学校時代の皿も多く出土。

↑分かりにくいと思うけど茶碗には「久茂地校」と書かれています。

↑排水溝に廃棄されていた窓枠。

↑耐火レンガには「SHINAGAWA」と書かれています。
品川白煉瓦会社のレンガ?

 

記事中の情報

那覇市文化財課「久茂地村跡緊急発掘調査」現地説明会について→こちら
2018年3月17日更新記事「新那覇市民会館について」→こちら

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