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鬼餅(ムーチー)伝説はたくさんニュアンスがある

鬼餅(ムーチー)文化と内金城嶽(アカギ)の危機
ムーチー(鬼餅)文化と内金城嶽は大きく形を変えてしまっています。文化は省略され、御嶽は台風や劣化で危機的な状態です。 鬼餅関連記事の第一弾です。

「鬼餅(ムーチー)文化と内金城嶽(アカギ)の危機」の続編です。
今回は、数多存在する鬼餅伝説について書いていきます。

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Wikipedia「ムーチー」

Wikipedia「ムーチー」の記述ではこのように書かれています。

昔、首里から大里に移り住んだ男が夜な夜な鬼になって人畜を襲うことから、その男の妹が憂いて、鉄釘入りのムーチー(鉄の塊とする場合もある)を兄に食べさせ、弱ったところを海に蹴り落として殺したというものである。このように、鬼退治にムーチーが使われたことから「鬼餅」と呼ばれることとなった。また西原町伝播説もある。

引用: Wikipedia「ムーチー」

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ネットで見かける話

ネットで鬼餅伝説を調べてみると、所々ニュアンスの違う内容の話が多々見受けられます。

総括して大まかに言えば、
首里金城に兄妹がいて、妹は早くに嫁に行った。
兄は大里へ移り住み、他人の家畜を盗んではそれを食べて生活していたが、徐々に人間も襲い食べるようになり、容姿も変わり「大里鬼」となってしまった。
兄(鬼)は洞窟へ住み着き、噂はまたたく間に広がり妹の耳にも届く。妹は洞窟へ足を運び鬼と化した兄に会う。
鬼は妹に対し「一緒に肉を食べよう」と洞窟内に誘うが、妹(もしくは妹の娘が)は「外で用を足してきます」と逃げるための口述を言い出す。
鬼は妹の手首を縄で結び、逃げないようにした上で外で用を足すことを認めるが、妹は縄をほどき逃げ帰る。
後日、怒った鬼は「妹を食ってやろう」と妹の家までやってくるが、妹は餅をこしらえ待ち構えており「兄さん先日はごめんなさい。お詫びに餅を一緒に食べましょう」と崖上へ誘う。
しかし鬼の食べる餅には鉄くずや釘(もしくは石)が練り込まれており噛み切れない。妹が食べる餅は普通の餅で美味しそうに食べている。
鬼は妹の口の強さにびっくりしていると、開けた着物から女性器が見えていた。
鬼は「お前のその下の口はなんだ?」と聞くと、妹は「上の口は餅を食べる口、下の口は鬼を食べる口」と言い鬼に迫った。
驚いた鬼は足を踏外し、崖から落ちて死んでしまった。

似たニュアンスで数多存在しており「内金城嶽に死んだ鬼を葬った」とか「内金城嶽に兄妹が住んでいた」「内金城嶽にある崖から落ちて死んだ」など色々見受けられました。

おじいちゃんの話

前回更新した「鬼餅(ムーチー)文化と内金城嶽(アカギ)の危機」の記事でも登場する昔話をしてくれた「金城町のおじいちゃん」

そのおじいちゃんの話では、
大里に住んでいた兄妹が首里金城に引っ越してきた(内金城嶽に居住していた)
しかし兄は精神病を患ってしまい、妹は困ってしまう。
どんどん病状は悪化し困り果てた挙げ句、崖から兄を突き落として殺してしまった(内金城嶽の崖から落とした)
妹は供養のため月桃の葉で包んだ餅をお供えした。それがムーチーの始まり。

このようなニュアンスの話を聞かせてくれました。

博友

沖縄県立博物館 友の会機関誌「博友」内の「琉球国旧記」「球陽」より取拾した鬼餅伝説の記述を僕なりに要約しますと、

首里金城邑(内金城嶽の小嶽)に兄と妹が住んでいた。兄の名は不明、妹には一人娘がいて名を於太(オタ)をいう。(この事から妹は「オタのお母」と呼ばれていた)
やがて兄は大里間切北方の洞窟へ移り住み、時々近くの村に出てきては人を殺し、その肉を食べていた。
「大里鬼」として噂は広がり妹の耳にも届いた。妹が洞窟を訪ねてみると兄は不在だった。ただ、火のついた釜があって人肉を煮ていた。
驚いて逃げ帰る途中、偶然兄と遭遇。
兄は「今日家に美味しい肉がある。一緒に食べよう」と誘うが、妹は「家に用事があるので行かなければならない」と断った。
しかし兄が強くすすめるので断りきれずに一緒に兄の家へ行った。
妹は逃げる術を考え巡らせ、抱いていた子(オタ)の腿をそっとつねり大声で泣かせてこう言った。「この子は大便をしたがっています。外でさせてきます」と。
すると兄は「お前は逃げようとして嘘をついているのだ。もし大便がしたければ、中でさせろ」と言った。
妹は「この子はいつも外で大便をしていて、中ではできません」と答える。
兄は小縄で妹の手を縛り厠を認めるが、外に出た妹は縄を木の枝にかけて逃げ帰った。
いつまで経っても妹が帰ってこないのを不思議に思った兄が外に出てみると妹の姿はない。
兄は走って北の山の峰へ行き「待て待て」と妹を呼び戻した。しかし妹は無視し行ってしまった。
それからこの山を「待川(マチガー)」というようになり、またその坂を「生死坂」というようになった。
その後 妹は、鉄丸入りの餅を7つ、にんにく(蒜)の根7つを用意して兄の家へ向かう。兄も妹を訪ね首里に向かっていた。その道すがら2人はたまたま出会い、兄は大里に行こうと誘う。妹はそれを強く拒否し逆に首里へ誘った。
崖の上で兄に腰掛けるようすすめ、鉄餅とにんにくの根を食べさせた。この時、妹は前裾を開けてあぐらをかいて座っていた。
兄はその様子を怪しんで問う。
妹は「私の体には2つの口があり、下の口では鬼を食らい、上の口では餅を食らいます」と答え食べて見せた。兄は大変驚き慌てふためいて後方の崖から落ちて死んでしまった。
この話から、12月は吉日には餅を食べ鬼の災いから避ける習わしが国中に広まった。
それがいつからか、庚子または庚午の日の何れかとなり、1735年に12月8日に定まった。

引用: 沖縄県立博物館 友の会機関誌「博友」第7号

また博友では、鬼餅伝説をとある博士の見解として「古代琉球には食人種が居たことを暗示していると同時に、生殖器崇拝を語るもの」とも記述されています。
リュウキュウという名が初めて中国の史書に登場するのが、今から1400年以上の前に書かれた「隋書」 この中では「流求国」について書かれておりカニバリズムの記述も2箇所見られる。
1つ目は戦死者に対するカニバリズム。2つ目は普通の死者に対するカニバリズム。詳細については省きます。
ただこの「流求国」が琉球のことかは不明で、台湾の可能性もあるとのこと。

その他にも博友では、色々な視点から鬼餅伝説を紹介しています。詳しく読みたい方は沖縄県立図書館へ。

沖縄大百科事典

沖縄大百科事典の「鬼餅由来」の項目では、
兄は人を食う鬼となり、妹がそれを退治するために石を入れた餅と普通の餅を作って持っていく。石を入れた餅を食べた鬼は、こんな堅いものでも妹は食うのかと驚く。また妹が足を開いて座っていると鬼は「その下の口何か」と尋ねる。妹が「上の口は餅食う口、下の口は鬼食う口」を答えたので鬼は恐れて逃げ、崖から落ちて死ぬ。

引用:沖縄大百科事典

百科事典なので簡略化された内容です。

Bitly

ホーハイ

広範囲で伝わる話の型としては、内金城嶽と大里が舞台となっており「下の口」がモチーフになっていることが多い(本島の一部や宮古、八重山を除く)
内金城嶽は別名「ホーハイ御嶽」とも呼ばれており、ホーハイの”ホー”は古語「蕃登(ホト)」からきている説が有力、”ハイ”は「見せる(露出する)」的な意味らしいです。
現在でも沖縄では「ホー」「ホーミー(ホーの穴の意味)」は方言として残っています。
余談:有名な話で日産車「ホーミー」は沖縄県内のディーラー店では販売されなかった。

沖縄では火事の時「ホーハイ ホーハイ」と掛け声(呪文?)をする風習があるらしく、火の神は女性なので恥語を投げかけ追いやる(=火除)由来があるらしい。→参照1 / 参照2

神産みではカグツチを産む時、イザナミはホトに火傷を負ってしまい死んでしまいます。
神道でも「火」と「ホト」は関連しており、沖縄の言い伝えとの繋がりを感じさせます。

ムーチー当日

2019年1月13日(旧暦12月8日)の「ムーチーの日」
内金城嶽では首里金城町の住民がムーチーを作り、大嶽・小嶽・祠の3箇所にお供えして拝みを捧げました。

↑自治会と子どもが中心となり作ってます

↑年配者から子どもたちへの継承です

↑蒸してお供えして食べるそうです

まとめ

数多ある鬼餅伝説では、それぞれにエッセンスが散りばめられており、伝えられています。
地域によっては上記以外の説もあったりして、途中で調べるのが億劫になりやめました(笑)
何れにせよ、本土の昔話に似た話が沖縄にはたくさんあります。(琉球神道のアマミキヨ、シネリキヨや銘苅子の羽衣伝説などがいい例)
鬼餅伝説もそれに近い発祥な気がしました。
鬼餅伝説に正解、不正解はなく、各地域や各家庭に伝わる話でムーチーの日を迎えましょう。

記事中の情報

沖縄博物館・美術館「博友 第7号」→こちら
内金城嶽の住所:沖縄県那覇市首里金城町3丁目

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この記事を書いた人
まぁびぃ

ハンドルネーム:まぁびぃ。
1995年1月30日、沖縄県那覇市出身。
2007年から2017年までは、Amebaでブログ運営をしていました。
現在は、WordPressで運営しています。
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