スポンサーリンク

世界遺産「中城城跡」を巡る

スポンサーリンク

中城城を巡る

中城城で14世紀前半頃の城壁が発見された
中城城では修繕の為に城壁の解体作業が行われています。この作業の過程で14世紀前半頃の城壁が発見されました。現在有力な築城年代より古い時代の城壁です。

2019/02/02更新:中城城で14世紀前半頃の城壁が発見された
上記の記事ついでに、中城城跡の写真や動画も多数撮影したので紹介します。

中城城とは?
正確な創始者や築城年代は不明ですが、最新の説では「14世紀前半頃に築城された」とされています。
1440年には護佐丸座喜味城から移り住み、増築がなされ現在の形が完成しました。
護佐丸の忠臣物語で有名な「護佐丸・阿麻和利の乱」が1458年に勃発し、城主護佐丸は自害します。※色んな説がある
その後は中城王子(王世子)の居城として使われたりしましたが、時代は琉球処分へと流れていきます。
幸い沖縄戦では大きな被害は免れ、遺構は良い状態で残っています。2000年には「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されました。

スポンサーリンク

写真集

出典:中城城跡ホームページより

↑南の郭から一の郭へつづく石積みの拱門

↑拱門越しの一の郭
大庭(ウフナー)と呼ばれる広場があり、戦中まで役場(番所)があった

↑正殿跡

↑二の郭に建っている日露戦争の戦没者を祀った「忠魂碑」
元は御内原だった(沖縄版大奥的な)

↑北の郭から階段を下ると大井戸(ウフガー)がある
この大井戸と正門近くにある夫婦井戸の2つで水を確保していた

↑裏門

↑小城ノ御イベ(クーグスクヌオイベ) 通称:久高遙拝所

↑御當蔵火神(ウトゥクラヒヌカン) 通称:首里遙拝所

↑ヒヌカン

↑雨乞イノ御嶽(アマゴイヌウタキ)

↑中森ノ御イベ(ナカムイヌオイベ) 通称:着替御嶽

久高遙拝所や首里遙拝所、雨乞御嶽は読んで字のごとくの意味があると思うのですが、「着替御嶽」は意味不明なので、ネットや県立図書館で調べてみました。
調べた結果は不明、どこにも情報が載っていません。何をする御嶽なのでしょうか?お着替えをする御嶽なの?

↑廃墟と化した中城高原ホテル

戦後の沖縄を代表する実業家で政治家の高良一さん
「国際通り」の名前の由来にもなった「アニーパイル国際劇場」を作ったり、琉球新報や海邦銀行の前身となる会社を設立しました。沖縄都市モノレールの素案を作った人でもあります。
そんな高良氏は中城公園組合を運営し、中城城跡に動物園や遊園地などを設置しました。

県立図書館に所蔵されている「写真が語る護佐丸の居城」という本によると、高良氏は一の郭に5階建ての天守閣やホテルの建設を計画していました。

一部抜粋しますと

本丸跡からの眺望は特に良いので、五階建の中城城を再現し、最上階には展望台を設ける。一階は大ホールにして観光客がゆっくり休める場所とし、二、三、四階には博物館やその他有益な施設を考えている。

引用 :写真が語る護佐丸の居城-中城城跡とその周辺

当時、本土では城の再建ブームがあったらしく、それに乗っかり本土風天守閣の建設を計画していました。驚くことに当時の琉球政府もその計画に前向きの姿勢だったとか。
1970年代には、海洋博に合わせ城跡内にホテル建設計画も持ち上がりましたが、多くの反対の声が挙がり、現在廃墟となっている中城高原ホテルが城跡すぐ隣に誕生しました。(十分に景観を破壊してるが)
沖縄で最もよく遺構が残る中城城跡ですが、短期視点の経済活動に破壊される目前だったのですね。高良一氏が戦後の沖縄にもたらした功績は大きいものの、蛮勇な面もあったのかなぁと思います。

記事中の情報

中城城のホームページ→こちら
Wikipedia「中城城」→こちら
住所:沖縄県中頭郡北中城村大城503
大人:400円(団体300円) 中高生:300円(団体200円) 小学生:200円(団体100円)

スポンサーリンク
誤字脱字の指摘はこちらまで
スポンサーリンク
写真動画歴史・文化
記事をシェアする
PayPayや銀行振込でサポートする
投げ銭をする
この記事を書いた人
まぁびぃ

ハンドルネーム:まぁびぃ。
1995年1月30日、沖縄県那覇市出身。
2007年から2017年までは、Amebaでブログ運営をしていました。
現在は、WordPressで運営しています。
詳しいプロフィールはこちら

購読する
THE RORISI

コメント

タイトルとURLをコピーしました