2020年4月24日、沖縄県は「首里城復興の基本的な考え方」をもとに、今後の展開に向けた具体的な方針を示す「首里城復興基本方針」を策定しました。
基本方針では、円覚寺や中城御殿、御茶屋御殿といった戦争で消失した文化財の復元を明記しています。
●円覚寺(首里):国王、第二尚氏王統の菩提寺。1933年に国宝に指定されたが、沖縄戦で消失。(Googleマップ)
●中城御殿:王世子(今で言う皇太子)の邸宅。沖縄戦で焼失し、戦後~2007年までは県立博物館があった。(Googleマップ)
●御茶屋御殿:王府の迎賓館。東苑とも呼ばれていた。(Googleマップ)
首里城復興基本方針(抜粋)
首里城公園及び周辺地域については、地域に残された文化資源や、かつてのまちなみを段階的に整備し、点的・面的に奥行きのある公園やまちづくりが重要である。
そのため、県営公園区域にある中城御殿跡や円覚寺跡等の復元を計画的に進めていく。また、御茶屋御殿跡など地域に点在する文化資源については、国や那覇市と連携のうえ段階的な整備に向けた検討を進めるとともに、官民連携のもと地域を周遊及び文化を体感できる拠点やネットワーク(スージグヮー等)の形成を図る。
中城御殿や円覚寺については、“計画的に進めていく”としていますが、御茶屋御殿については、“段階的な整備に向けた検討を進める”としており、優先順位は低いように思えます。
円覚寺は早々に着手
記者会見の中で、特命推進課長は「円覚寺の整備計画については、教育庁文化財課より今年度(2020年)から復元工事に着手し、令和5年度(2023年)完成を目指すと報告を受けている」と発言しています。( 08:25~)
円覚寺三門(山門)は、早々に復元されるようです。とても楽しみ。
那覇市議会
那覇市や期成会は、円覚寺・中城御殿・御茶屋御殿などの戦争で消失した文化財の復元を以前から求めてきました。
那覇市議会2020年2月定例会では、「首里城の早期再建と御茶屋御殿、中城御殿、円覚寺など周辺の戦災文化財の一体となった復元を求める意見書」が可決され、玉城デニー知事に提出されました。
意見書(抜粋)
首里地域は、首里城のみならず御茶屋御殿や中城御殿、円覚寺など、いにしえの王府を彩る歴史的遺産を数多く有しており、これらを一体的に整備することが、古都首里のまちづ くりに大きく寄与するものである。
御茶屋御殿の復元に向けては、1998 年に幅広い市民と県民、伝統芸能関係者などで「御茶屋御殿復元期成会」を結成して復元運動を展開しており、本市議会は、2006 年、2017 年に「琉球王朝文化の殿堂・「御茶屋御殿」の早期復元を求める意見書」を全会一致で採択している。
よって、本市議会は、首里城の早期再建を求めるとともに、それぞれの役割を担いながら一体となって琉球王朝文化を形成していた首里城周辺文化遺産についても、戦争で破壊された歴史的経過を鑑み、首里城を含む古都首里の歴史文化遺産として一体的に復元するよう下記事項を強く求める。記
1 風格ある歴史的環境の創出に向け、中核となる首里城の早期再建と御茶屋御殿、中城御殿、円覚寺など周辺の戦災文化財を一体となって復元すること。
2 御茶屋御殿など、首里城周辺の歴史的文化遺産の復元と整合性がとれるように、「首里城公園基本計画(首里杜構想)」を見直し拡充すること。
意見書では、鈍重な御茶屋御殿の復元に対し、強く改善を求める内容となっています。
これを受けて県が発表した「首里城復興基本計画」では、前述の通り、御茶屋御殿の整備を明記したものの、円覚寺・中城御殿よりは優先順位は低いと読み取れる内容となっています。
写真集
中城御殿跡にあった沖縄県立博物館がおもろまちに移館して10年以上も経ちます。
円覚寺含め、首里城周辺という好立地にも関わらず広大な土地を整備もせずに放置するのは非常にもったいない。
発掘調査の重要性は理解できますが、あまりにも進捗が鈍重すぎます。
記事中の情報
2019/03/02更新:首里高校で発掘された「中城御殿」の現地説明会
2020/03/29更新:首里城正殿区域を見学。(2020/03/29)
2019/07/07更新:首里当蔵市街地住宅跡地整備事業(びんがた・首里織の拠点施設)について
沖縄県「首里城復興について」→こちら
那覇市議会→こちら
コメント